※「銃器哲学」とは、フィクション作品の銃器描写に対して、「なぜその銃がそこにあるのか」「どのように演出されているのか」を探求する試みです。
シューティング系RPG『Borderlands(ボーダーランズ)』は、銃器を語る上で他のゲームとは根本的に異なるアプローチを取っています。『ボーダーランズ』の世界では銃は希少品でも記念品でもありません。それは無限に湧き出る道具であり、同時に無限の可能性を秘めた選択肢の海でもあります。
『Cyberpunk2077』が義体と電脳の “サイバーパンク” の世界を描いたなら、『ボーダーランズ』は鉛と火薬の世界、"バレットパンク" の世界を描いています。この世界では、撃つことが呼吸と同じくらい当たり前で、武器選択が生き方そのものを決定します。
しかし、無限の選択肢を前にしたとき、私たちは本当に自由なのでしょうか?それとも、選択の過多という新たな檻に囚われているのでしょうか?

本稿では、『ボーダーランズ』に登場する銃が、いかにプレイヤーの欲望と暴力性を増幅し、同時にそれを問い直す構造になっているかを読み解く。 き、『ボーダーランズ』の世界にて「撃つ」という行為が持つ意味と、無限の銃が降り注ぐ中でプレイヤーがどのような選択を必要とされているのか。またシリーズに内包されている矛盾がどう成り立っているか、その哲学に迫りたいと思います。
銃は「溢れる」ものであり、「捨てる」ものである
『ボーダーランズ』の世界では、銃は枯渇することがありません。敵を倒し、宝箱を開け、ミッションを完了すれば武器が湧き、画面を覆い尽くすほどの銃で溢れかえります。これは他のゲームとは正反対の設計思想です。

通常のRPGやシューターでは、“武器”というものは入手の機会に注意を傾け、慎重に選択し、大切に管理するリソースです。しかし『ボーダーランズ』では、武器は選択肢の洪水として襲いかかってきます。プレイヤーは常に「何を拾うか」ではなく「何を捨てるか」という逆転した問題に直面します。
この構造が生み出すのは、「消費の快楽」です。新しい銃を手に入れる喜びは一瞬で、すぐに次のより良い銃への欲望に変わります。昨日まで愛用していた武器も、より高いダメージ値を示す新しい銃の前では、躊躇なく捨て去る対象になります。
しかし、この無限の更新サイクルは、武器への愛着を希薄化させると同時に、純粋な性能への執着を生み出します。『Escape From Tarkov』では銃からの感情的なプレッシャーが生まれましたが※(関連記事)※、『ボーダーランズ』では銃は性能を数値化した商品として機能します。「愛着よりも効率、記憶よりも統計」これがバレットパンクの基本的価値観です。

暴力の日常化と「笑い」による正当化システム
『ボーダーランズ』では、撃つことは歩くことと同じレベルの日常行為です。この世界の住人たちは暴力を笑いとして消費し、敵が吹き飛ぶ様子や過剰な爆発を娯楽として楽しみます。プレイヤーは気づかないうちに、暴力への抵抗感を削り取られていきます。
この暴力の日常化を支えているのが、巧妙な笑いによる正当化システムです。プレイヤーキャラクターは「ヴォルトハンター」と呼ばれる宝探しですが、実際の行動は武装強盗に近いものです。しかし、ジョークめいた武器説明文や軽薄なNPCの台詞によって、この矛盾は娯楽として巧みに処理されます。
敵だから撃つ、邪魔だから撃つ、面白いから撃つ。どんな理由でも軽やかなトーンで包み込まれる、見事な設計です。
この日常化は独特の体験を生み出します。最初は爽快だった銃撃戦も、何百回と繰り返すうちに漫然と、或いは瞑想のように行う反復行為に変質します。撃つことが快楽から習慣へと変化する過程で、プレイヤーは「なぜ撃っているのか」という哲学的な問いと向き合うことになります。
この世界では、深刻な暴力が軽やかな笑いで包まれることで、プレイヤーは安心して「理由なき暴力」を楽しむことができます。しかし同時に、これは矛盾と表裏一体です。シリーズの方向性と評価を確固たるものとした傑作『ボーダーランズ2』の中盤にて遭遇するサブクエスト「あの顔を撃つのはあなた」でこの矛盾は顕著になります。
このクエストでは、シリーズおなじみの雑魚敵であるサイコの中の一人より、「俺の顔を撃ってくれ!とにかく撃て!」と懇願されます。


一見コミカルで、実際にかなりコミカルなこの奇妙な出会いで、プレイヤーがおかしみの次に覚えるのは “疑念” です。「本当に撃っていいのか?」「何か裏があるのでは?」「一発撃った瞬間にパワーアップして襲い掛かってくるのでは?」という疑いが頭の中を駆け巡ります。
おかしな話です、普段は頼まれなくとも躊躇なく何万発と撃っているのに、頼まれた瞬間に、トリガーに伸びた指にはストッパーが掛かります。
それは、ゲームが「撃つ」という行為に、それまで存在しなかった「意味」と「重み」を付加した瞬間であり、プレイヤー自身の倫理観を試す問いが提示された瞬間でもあります。この構造を理解した時、ゲーム体験はより深い層へと導かれるのです。
メーカーの思想が銃に宿る:企業アイデンティティという帰属
『ボーダーランズ』の銃器は、製造メーカーによって明確な個性を持っています。アトラス社のスマートさ、ハイペリオン社の安定性の追及、ジェイコブス社の伝統的威力、ブラドフ社の連射性能、ダール社の軍用品質、マリワン社のエレメント技術、テーディオール社の使い捨て思想、バンディットあるいはCOVの粗製濫造、そしてトーグ社の爆発。それぞれのメーカーは単なる性能差を超えて、異なる戦闘思想を体現しています。

ここで見過ごせない事実は、プレイヤーが無意識のうちに特定のメーカーに偏る傾向があることです。これは単なる性能の好みを超えて、そのメーカーの思想への共感を表しているかもしれません。
プレイヤーがハイペリオン社製銃器を愛用するとき、そこには「精密さと統制を重視する」価値観の選択があります。照準が安定し、計算可能な戦闘を求める姿勢は、混沌とした世界に秩序を持ち込もうとする企業理念の反映です。
一方、テーディオール社製銃器を使うプレイヤーは「効率性と実用性」を優先し、リロード時に銃を投げ捨てて爆発させる潔さを楽しみます。


ジェイコブス社製銃器を愛用するプレイヤーは「一発の重み」を重視し、ブラドフ社製銃器を選ぶプレイヤーは「継続火力による制圧」を信奉し、トーグ社製銃器を選ぶプレイヤーは爆発に男性ホルモンの可視化を求めます。



これが示しているのは、『ボーダーランズ』では銃を通じてプレイヤーが企業の代理人になるということです。現実や他のゲームでは、武器装備は個人や組織の記憶や思想を表現しますが、『ボーダーランズ』では企業の価値観を外面化していきます。プレイヤーは消費者でありながら、同時に特定の企業思想のスポークスマンとして働くのです。
レアリティという階層システムが生み出す欲望の構造
ハック&スラッシュの要素をゲーム性の中核とする『ボーダーランズ』シリーズですが、それゆえに登場する武器には明確な階層が存在します。シリーズにより例外はありつつも、ハック&スラッシュジャンルで多く見られる色分けが『ボーダーランズ』でもなされています。
白(コモン)、緑(アンコモン)、青(レア)、紫(エピック)、オレンジ(レジェンダリー)。色によって価値が決定され、プレイヤーの欲望を段階的に刺激する仕組みになっているのです。

この階層システムは、プレイヤーの行動を強力に動機づける巧妙な仕組みです。オレンジ色の光が専用SEと共に見えた瞬間の興奮、レジェンダリー武器のドロップ確率を上げるためのエンドレスなファーミング。プレイヤーは気づかないうちに、「より上位の色」を求める欲望の迷宮に誘い込まれていきます。

しかし、この欲望の構造は巧妙に設計された永続的なモチベーションシステムでもあります。レジェンダリー武器を手に入れても、それは次のより良いレジェンダリー武器への探求の始まりに過ぎません。完璧な武器は存在せず、常に「もっと良いもの」があるという期待がプレイヤーを駆り立て続ける、これこそがハック&スラッシュゲームの醍醐味です。
しかしここで、またしても興味深い矛盾が発生します、この階層システムが武器の実用性を超えた価値を創造することです。低レアリティでも使いやすい武器より、高レアリティで使いにくい武器の方が愛される傾向があります。
これは『ボーダーランズ2』にて特に顕著でした。マイルドな調整がされ、シビアなビルドや武器の更新をしなくともクリアが可能な一週目のプレイに対し、引継ぎの周回プレイ、いわゆる「二週目」のプレイでは豪華な見た目・効果のレジェンダリー武器を手に入れても、自分と敵のレベル帯が一段階(ほんの2~3レベル程)進むと雑魚敵を一体倒すのにもやや苦戦し、コモン(白)あるいはアンコモン(緑)武器の方が性能で勝るケースすらあったのです。
しかし、プレイヤーはなかなかレジェンダリーを手放せません。それは、実際の戦闘効果以上に、レアな武器を手に入れた達成感やステータス性を重視するからです。数値が愛着をはぎ取り、愛着が数値を塗りつぶす。この奇妙なループにプレイヤーは陥ります。これは現実世界のコレクション文化と同じ心理構造を、ゲーム内で巧みに再現した設計と言えるでしょう。
無限の選択肢が生み出す「選択の迷宮」と終わりなき消費のループ
『ボーダーランズ』は、文字通り無限ともいえる選択肢をプレイヤーに提供します。数百億種類もの銃、そしてキャラクターのスキルとの組み合わせは、プレイヤーに「どの銃が最適か?」という贅沢な悩みをもたらします。この豊富な選択肢は、効率を追求するプレイを促し、多くのプレイヤーが統計やガイドを参考にしながら「最適解」を探すようになります。
一方で、あまりにも多くの武器が手に入るため、特定の武器との関係は一期一会のような独特なものになります。他のゲームのように「お気に入りの一丁」と長く付き合うのではなく、武器は常に変化する変数の一部として体験されます。これはバレットパンクの美学とも言えるでしょう。プレイヤーは、無限の自由の中から自分なりの選択基準を築き、能動的な価値判断者へと進化していきます。
このゲームのシステムは、すべてがDPS(Damage Per Second)という数値に集約されており、非常に明快です。敵の強さ、武器の価値、そして戦術の優劣といった要素がすべて計算可能な数字として扱われます。プレイヤーは敵を「HP○○の挑戦」と捉え、武器を「DPS○○のツール」として選択します。
このシンプルでわかりやすい構造は、「次のレジェンダリー」を求める飽くなき消費のループを生み出します。新しい武器を求めて敵を倒し、その武器でさらに強い敵に挑み、より良い武器を手に入れる。このサイクルは終わりなく続き、プレイヤーは常に次の目標を追い求めます。
しかし、この継続的な成長サイクルは、時に「娯楽」を「作業」へと変質させてしまうという矛盾をはらんでいます。数値化された世界と効率を追求するプレイスタイルは、達成感を連続的に提供する一方で、ゲームを強迫観念に変えてしまう瞬間があるのです。この「消費のループ」と「選択の迷宮」が、『ボーダーランズ』というゲームの奥深さを象徴していると言えるでしょう。

「お前は、何を求めて撃っている?」
最終的に、『ボーダーランズ』が矛盾を通して投げかける問いは単純で根本的な、「お前は、何を求めて撃っている?」というものです。
この問いに対する答えは、プレイヤーによって異なるでしょう。娯楽、達成感、優越感、習慣、逃避など様々な動機があるはずです。しかし、重要なのは答えそのものではなく、その問いを自分自身に向けることです。
バレットパンクの世界は、思考を停止させ、問いを封じ込めようとします。しかし、真に重要なのは、その圧力に抗って自分自身の行動を省察することです。なぜ撃つのか、なぜ選ぶのか、なぜ消費するのか。これらの問いを持ち続けることが、バレットパンクの誘惑に対する唯一の防御なのかもしれません。
『ボーダーランズ』の銃器哲学は、現代社会の病理を書き連ねた診断書であると同時に、その病理からの解放への可能性を示唆しています。「無限の選択肢に溺れることなく、数値に還元されることなく、笑いに誤魔化されることなく、自分自身の意志で引き金を引くことができるかどうか。」それが、この世界でプレイヤーに傾けられる問いかけの正体です。
しかし、私たちには「リミッターを外せる魔法の叫び」がある
さて、ここまで長々と小難しい分析を展開してきましたが、しかし私たちは、これらの試練や問いかけを、糾弾されているような居心地の悪さを覆せる叫びを知っています。指先ひとつで炸薬やエレメントのエネルギーを操る正当性への疑問を投げつけてくるような、正義の問いをもねじ伏せる力を持つ魔法のシャウトを知っています。
かつてPS4のCMに、筆者がとても気に入ったキャッチコピーがありました。「できないことが、できるって、最高だ。」ぶっちゃけ、これでいいじゃありませんか。
現実では巡り合えない大量の銃に浸かりながら無限に撃ち、現実では体験できない爆発を楽しみ、現実では許されない暴力を笑いながら消費する。それができるからこそゲームは素晴らしく、『ボーダーランズ』シリーズは素晴らしく、愛されているのです。
「完璧なものは愛されない」と言います。本稿で考察した『ボーダーランズ』の数々の矛盾も、それがあるからこそ愛されているのです。問題への洞察も大切ですが、時には純粋な娯楽として、罪悪感なく楽しむことも必要でしょう。
さて、みなさんもそろそろ察しがついたでしょう。哲学的な問いかけも、社会批評も、矛盾すらも。すべてを吹き飛ばして、この叫びに身をゆだねて、大好評発売中の最新作『ボーダーランズ4』に、未知の惑星カイロスに、銃を撃ちに行きましょう。
それではみなさんご一緒に。
せーのっ!
ヒャッハー!!!

FPS POWER TUNE


Source: Pressrelease
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