イラク戦争のうち、最も凄惨な市街戦であり、多くの民間人犠牲者を出したことで、今なお正当性が問われている「ファルージャの戦闘」。
そもそもどうしてそこに攻め込んだのか、数十万もの何の罪もない人々の暮らしを壊してまで戦う必要があったのか。人道や政治上の議論が絶えないホットスポットに、「政治的なメッセージを一切排除した上で、最もリアルな戦争体験を届けたい」と宣言したゲームが乗り込み、多くの批判を呼んでいます。
極めてセンシティブな、国際社会で"地雷"ともされている話題を敢えて踏み抜いている『Six Days in Fallujah(シックスデイズ イン ファルージャ/ファルージャの6日間)』と、パブリッシャーVicturaのCEOであるPeter Tamte氏。2009年に一度は販売中止まで追い込まれながらも、12年の時を経て墓場から舞い戻ってきたこの作品を、海外メディアPolygonに語ったTamte氏の意見を添えて紐解いていきましょう。
アメリカ世論に大反対された意欲作『Six Days in Fallujah』
米軍といえば海兵隊にしろ陸軍にしろ、一度仲間になった者は決して見捨てないことで有名ですが、その伝統はゲーム業界でも変わらないようです。米軍兵士が開発に協力したゲーム『Six Days in Fallujah』も、一度は批判を受け開発中止したと思われながらも、根強いサポートの元に、12年越しの復活を果たすことになりました。そう、元々『Six Days in Fallujah』は、2009年にコナミデジタルエンタテインメントにプロデュースされていたタイトルだったのです。
開発元のAtomic Gamesは元々CIAなどと協力して、軍事訓練用のソフトウェアを作っていたスタジオだったのですが、当時製作に協力していた米軍兵士がリアルタイムでイラク戦争を体験し、帰還後に戦地での体験談をAtomic Gamesに披露。CEOであるPeter Tamte氏はその凄惨な身の上話に感銘を受け、訓練ソフトとは別に、兵士たちが置かされた環境にフォーカスし、それを人々に伝えるゲームを発表したいと考え、米コナミの協力を取り付けることに成功しました。
「倒れた仲間が忘れられないために」と、他でもないイラク帰還兵や士官からもアドバイザーがゲーム開発に協力するも、当時イラク戦争はまだ継続中だったこともあり、発表後まもなくして「たかがゲームが扱うべき話題ではない」、「子供を戦地で亡くした親にとって不謹慎極まりない」など多くの米国国内の批判に晒され、最終的に米コナミが販売権を放棄する事態に繋がります。後の2010年に開発が完了して販売元を探すのみになったと発表されるも、結局新たなパブリッシャーは見つからず、そのまま風化していくものだと思われました。
11年ぶりの電撃復活、しかし今度はグローバル世論が大反対
そんな言わば、幻の作品となってしまった『Six Days in Fallujah』は、しかし2月11日にSteamストアページと公式サイトを開設、アナウンストレーラーも発表し、米国内の傷跡も浅くなった今ならとばかりに電撃的な復活を遂げますが、しかし今度は「米国を過度に持ち上げようとする、歴史漂白主義ではないか」という世界からの批判に晒されています。
というのもイラク戦争はそもそも始めたこと自体が間違いではなかったのか、ただの違法な侵略戦争ではなかったのかと、始めた側である米国や参加した各国が自問するほどのセンシティブな話題。特にファルージャの戦闘は今なお多くの疑点が残っており、『Six Days in Fallujah』はそれらを放りだして、ひたすら米軍兵士の正当性にフォーカスしただけでは、むしろ歴史を捏造しているのではないかという批判が寄せられています。
例えば『Six Days in Fallujah』のストアページでは、「海兵隊員とイラク民間人が手を取り合ってアルカイダと戦った実話を再現するべく…」と紹介されていますが、ファルージャの戦闘にアルカイダは関与しておらず、米軍側の傭兵4名が殺害されたことに対する報復であったという告白が当事者により出版されており、ファルージャと『Six Days in Fallujah』を巡る議論を複雑なものにしています。件のきっかけとなった米軍傭兵と同じPMC会社の兵士が、2007年に民間人を虐殺した戦争犯罪者であると後のトランプ政権によって発表されたのも、火に油を注いでいます。
要は「件の戦争では米軍が侵略者で悪役なのに、彼らを主人公としてフォーカスする上に、あたかも侵略が正当であったかのように紹介し、しかも悪の根源である政治的な部分を意図的に描写しない」という、イラク戦争に元から疑念を持っていた人々からの批判が、Tamte氏と『Six Days in Fallujah』の現パブリッシャーであるVicturaに集まっている状態です。
「忘れてほしくないがための作品」Tamte氏の見解
一方で多くの批判を浴びた後に、Tamte氏は2月16日に海外メディアPolygonのインタビューにて、改めて自身が作品に掛ける思いと、作り上げる過程で携わったイラク帰還兵や、当事者であるファルージャ市民からの声を語りました。
Tamte氏は同作について、あくまで現場のいち兵士の視点を描くものである、つまり近代戦における市街地戦闘の複雑さや現場の兵士が感じた恐ろしさを忠実にプレイヤーに伝えたいと強調し、兵士が上の政治的な判断に自身の意見を挟めないのと同様に、ファルージャの戦闘の正否について政治的な論評を行うつもりはないと語りました。
どうして実在の戦場を舞台にしなくてはいけなかったのかという問いに対しては、製作過程で関わった戦死者遺族の声を引き合いに出し、多くの遺族は戦争や、戦争のゲーム化に反対ながらも、死者の犠牲を覚えて欲しがっているとインタビューに返答。本作のプレイを通して、このような戦争があったと知り、あとはプレイヤー自身で前後関係を調べ、自分なりの結果を導き出せれば、戦争があったという事実を忘却するよりも良いのではないかと予想しています。
また、インタビューでTamte氏は終始戦争反対の意見を取っており、「自身に協力した帰還兵たちやファルージャ市民も決して戦争賛美の作品は求めていない」と、『Call of Duty』の様な純粋な娯楽作品ではなく、より戦争の悲惨さをプレイヤーに理解してもらうために作った作品であると述べました。
インタビューを読む限り、Tamte氏は政治的な思惑を一切省いて、極限環境で理不尽な命令に命を掛けなくてはいけない現場の兵士の姿を描き出そうとしているように思われます。しかしファルージャの戦闘で米軍が犯した戦争犯罪だとされている白リン弾の使用と、近年のファルージャ市民の発がん率上昇につながったと見られている劣化ウラン弾の使用の描写にに関しては、「話を聞ける人がおらず、忠実に描写できない恐れがあったため」作中では一切語るつもりがないと告白。
戦地の凄惨さを忠実に描写するのが目的だと紹介した手前、米軍の戦争犯罪につながる戦闘描写だけ綺麗にスルーするのは、やはり事実捏造の言い訳ではないかという批判が集まることに。氏の告白の真偽はどうあれ、『Six Days in Fallujah』は依然として厳しい目線に晒されていると言えるでしょう。ゲーム業界に属する他クリエイターも、氏の決定に異論を挟んでいます。
100人を超える米軍兵士や民間人に取材を行い、現地の環境を可能な限り再現したとされる『Six Days in Fallujah』。Tamte氏の主張する作品のテーマとは裏腹に、その行き先には暗雲が立ち込めていると言えますが、本当にこの作品が氏の言う通りファルージャ市民たちが望んだものなのか、もしくは批判派の方々の懸念通りの作品なのか。
何にせよ、メッセージ性などに目を向けず、純粋にFPSを楽しみたいゲーマーにとっては、期待できるタクティカルシューターであることは間違いなさそうです。より具体的なゲーム内容の公開が待たれるところです。
『Six Days in Fallujah』の配信は2021年内を予定、対応プラットフォームはPCとコンシューマー機(機種未定)。
Source:Polygon
コメント
コメント一覧 (3件)
アメリカ人ってあんだけ嬉しそうに第二次大戦とかベトナム戦争のゲームは作るのにイラク戦争はポリコレなんだな。
ポリコレ棒でIPを潰したニール・ドラックマンが言ってもブーメランにしかならないのでは?
ニールドラッグマンは言えた口じゃねえだろ