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小島監督最新作『DEATH STRANDING』のインタビューから読み取れる、テーマと「次のレベルのゲーム」

DEATH STRANDING(デス・ストランディング)
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2017年8月18日、東洋経済オンラインにて「コナミを辞めた小島秀夫が語るゲームの未来」と題した小島秀夫監督のインタビューが公開された。

前後編に分かれる大型インタビューで、内容は「クリエイターを取り巻くゲーム開発環境の変遷」や「これからのゲーム開発の姿」から、「今のゲーム市場の分析」や「これからのプラットフォームのあり方」まで非常に多岐に渡る。小島監督が”ゲーム”という一つの表現形態について思うことが包括的に語られており、いちファンとして刺激を受けるものばかりであった。

ここでは、小島監督の新作『DEATH STRANDING』に織り込まれると思われるアイデア・思想・思考に絞って紹介していく。繰り返しになるが、全編非常に興味深いインタビューだったので、以下の抜粋を見るだけではなく、インタビューの全文にも目を通すことをお勧めする。これからの”ゲーム”がどうなっていくのか、見る人によって違ったインスピレーションを与えてくれるだろう。

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AAAタイトル

Death Stranding
私が期待していることであるし、皆さんも期待していることであろう。まず第一に、小島監督が作る『DEATH STRANDING』は小粒なタイトルでなく、「AAAタイトル」であることを改めて期待して良さそうだ。小島監督は、現在彼とスタッフたちがクリエイティブスタジオ「コジマプロダクション」として活動している事について以下のように述べている。

ただ、僕がやろうとしていることや、世界中のファンから求められているAAAのハイエンドのゲーム開発は、個人の規模ではまだできない。しかも、これまでにない新しいゲームを作るためには、既存のスタジオとのコラボ開発では限界があります。僕の意思や指示がダイレクトに反映できる組織を作る必要があったんです。そのために、最新のテクノロジーとそれを扱えるスタッフを集めた、というのが実情です。

『DEATH STRANDING』についてはまだまだ謎のほうが多いのが実情だ。現在我々の手元にある判断材料は2016年に公開された2本のトレーラーと、これまで数度か行われたいくつかのインタビューだけである。

Death Stranding – E3 2016 Reveal Trailer | PS4

『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』PSX 2016ティザートレーラー:Low Roar Version - 4K

辛うじてプラットフォームがPS4であることは確定している。つまり実質ほぼ何もわかっていない『DEATH STRANDING』の実態だが、「”AAAタイトル”を開発している」と改めて明言したのは、このゲームに我々が一層の期待を寄せる根拠としては十分だろう。

商業主義と作家性の釣り合い地点

Death Stranding
しかし、普段何気なく使っている「AAAタイトル」の定義は改めて考えるとなかなかに難しい。誤解を恐れずに言えば「莫大な予算をつぎ込み、それ以上に売れたゲーム」になるのだろうか。

「AAAタイトル」と呼ばれるにあたりゲーム自体の高いクオリティは必須条件だろうが、そもそも多様化した現在のゲーム市場において、一体何をもって「高いクオリティ」とするかはプレイヤーの数だけ意見がある。

ゲーマーは常に目を見張るような斬新さ・新鮮さを求めるものだ。ゲーム開発者の素晴らしいものを提供したいという欲望と同様、この欲求にはきっと限りがない。これまで技術が進歩する度に新たな表現が生まれて、新たな表現を生むために技術が進歩してきた。

もっとも分かりやすいのは映像と音の表現の進化、そして何よりマルチプレイの普及だろう。一体誰が30年前に世界中の人たちとリアルタイムに会話しながら対戦できる世の中を想像出来たであろうか。ここ数十年のゲーム業界の日進月歩ぶりは目もくらむばかりだ。

だが、ゲーム開発は今その進歩ゆえのジレンマに苦しんでいる。アイデアの斬新さと、それを表現する技術の先進性。本来両輪の関係であるべき両者が、コストの肥大化により乖離しつつあるのだ。今や大作と呼ばれるゲームは数百人、時には千人規模で開発されている。商売である以上、採算が取れない作品を作るわけにはいかない。結果的に”AAAタイトル”は大衆的にならざるを得ないのだ。

映画にも通じるこの問題について、小島監督は「作家性」と「商業主義」という言葉を用いて、以下のように説明している。

たとえば、100億円も200億円も投資する大作映画の場合、失敗するわけにはいかないので、冒険がしにくくなる。多くの観客に受け入れられるように、ラブロマンスやカーチェイスといった要素を入れていく、ハッピーエンドで終わるようにする。スニークプレビューで観客の反応を何度もみて、ストーリーの細部まで調整する。さらに投資家の意見も聞かなければならない。

そうすると、万人が満足する同じような映画ばかりになります。世界中から集められた才能のある若い監督やクリエイターが次々と大作に登用されますが、彼らが皆、成功するわけでも幸せになるわけでもありません。

大作映画の商業主義にクリエイターの作家性がのみ込まれて、才能が潰されてしまうケースも多々あります。それを嫌ってインディーズで映画を作る監督の作品は、確かにとんがっていて面白いのですが、マスに広がるような大作の規模感はない。映画にしてもゲームにしても、そのバランスが肝心なのです。

では、小島監督自身はどのように『DEATH STRANDING』のバランスを取っていくつもりなのであろうか。それについては以下のように語っている。

最初のプロジェクトへの出資がソニー1社で、シンプルすぎるから危ないんじゃないかと言う人もいますが、そんなことはありません。むしろシンプルなほうが、余計な横槍が入らないのでやりやすい。商業主義と作家性の両立という点でも望ましい関係だと思っています。僕は昔からソニーのファンでしたし、仕事でも長い間、一緒にやってきました。信頼関係もあります。プレイステーションの市場と、僕の作家性との相性もいいのです。これまでとは違うやり方で、新しいものを作ろうとしている僕らのことを理解してくれていること、それが最も大きいのです。

”斬新さ”と”先進技術”。この2つを調和させた”AAAタイトル”になることを期待したくなるのは私だけではないだろう。

普遍性を持つ「家族」というテーマ

小島監督の作るゲームならば、一体我々に何を訴えかけようとする作品なのかも気になるところだ。監督の代表作である『METAR GEAR SOLID』シリーズにも様々な主義主張が作品の根本に息づいていた。なお、これについて語ろうとすると際限なく記事が長くなることが容易に予想できるため、今回は割愛する。

では、『DEATH STRANDING』はどのようなテーマのもとに作られているのか?これについては、小島監督が自身が作品を作る際にグローバル市場や日本市場を特に意識したことはないとしたうえで語った、以下の言葉が手がかりになるだろう。

あらゆる人種、民族、年齢、ジェンダーの人々に届くためには、普遍的で強固な構造が必要になります。通過儀礼の物語ならば、主人公の成長も含め現実をしっかりと描く。だから海外の映画やドラマには家族がちゃんと描かれますよね。

乗り越える対象になる親の世代だけでなく、祖父母や親戚、兄弟との関係まで描きます。どんな家族の元から冒険に出掛け、帰ってくるのか、それによって家族との軋轢を乗り越えて、どんな調和を迎えるのか、という物語でないと受け入れられないと思います。「家族」こそが、人類共通の生存のための単位であり、概念なので、それを描くことが必要だと思います。

上のティザートレーラーの映像において非常に印象的なシーンがあった。老年を間近に控えているであろう男性が抱えている生命維持装置らしきカプセルの中で、赤ん坊が目を見開くシーンだ。

DEATH STRANDING(デス・ストランディング)

この映像は全編に渡り、異様なほど死臭が濃い。カニやイルカなどの海の生物たちの死体はそこかしこに転がっていて、海の水は生命の母たる面影もないほどに黒く濁りきっている。

街はどこをどう見ても人が住んでいる様子には見えない荒れ果てた様子で、そこを進軍している戦車は異形そのものである。更にその戦車に随伴している歩兵は妙に古臭い装備の骸骨たちという念の入れ方だ。死を印象づける存在がこれでもとばかりに詰め込まれている。

その中で、あの赤ん坊のシーンだけが生命の息吹を感じさせる。家族が「人類共通の生存のための単位」なのであれば、その最小構成要素は「赤ん坊」であろう。赤ん坊の誕生と成長なくして家族の系譜は存続しえないからだ。周りが死で覆われつつある状況だからこそ、それを強く感じさせられた。

また、赤ん坊はリヴィールトレーラーにも登場している。砂浜に横たわる壮年の男性が赤ん坊を抱きかかえると、赤ん坊は黒い液体になって溶けていった。これが単なるイメージなのか、あるいは実際にその場で起きていることなのかは定かではないが、いずれにしろ2つのトレーラーに共通して登場しているというのは興味深い。

共通しているといえば、もう一つ気になる点がある。リヴィールトレーラーの男性と、ティザートレーラーの赤ん坊の人形らしき物体に付いていた”お腹の傷”だ。腹部を中心に十字に刻まれた傷は、一体どのような経緯でついた傷なのであろうか。傷がなければへそがあるはずの場所だ。へそに赤ん坊とくればへその緒がまっさきに思い浮かぶ。

”へその緒”もひとつキーワードになるかもしれない。”赤ん坊”を”家族”と”繋ぐ”ための”ひも”がへその緒だ。随所に散りばめられた要素がここで収束する。骸骨の兵士を繋ぐ謎の黒い紐とも好対照だ。「死を繋ぐためのひも」と、「生を繋ぐためのひも」。この2つはゲームのストーリーに深く関わっていることが予想される。

新たなゲームの形への一つの解答

”生と死”、”罪と罰”、”家族”……謎が多いだけに色々なストーリーの展開軸が想像できる『DEATH STRANDING』だが、ゲームである以上システムに関する考察も欠かせない。何度か行われたインタビューにより、”オープンワールド”形式の”アクションゲーム”であり、”オンライン要素”を含むらしいと一応は判明しているが、ここも我々の考える従来のゲームの形ではないかもしれない。

小島監督は、ゲームの根底には”勝ち負け”があることを踏まえた上で、以下のように語っている。

テクノロジーも進化してグラフィックも映画並みになり、顔のシワや、目の色、髪の毛などのディテールも表現できるようになりました。キャラクターは記号ではなく、人種、民族、年齢、性差などの個性を持つようになりました。思想や宗教、世界観もグラフィックで伝えられるようになりました。

でも、ゲーム性の根本はずっと変わらない。向こうから攻撃してきた敵を倒す、という原理は変わっていないのです。そこから次のゲームのレベルに進むことがいまだにできていない。これは大きな課題だと思います。次の新作「DEATH STRANDING」で、その課題に対するひとつの答えを出したいと思っています。

確かにアクションゲームといえば、その多くは何かに対抗して戦う形式を取ることが多い。小島監督の代表作『MGS』シリーズも広く言えばそこに分類されるであろう。というより、そこに分類されないアクションゲームの方が圧倒的に少ないと思われるが。

『DEATH STRANDING』はこれまで当然とされてきた「アクションゲーム」の形式を変えるゲームになり得るのか?これまで受けたインタビュー中に何度か登場する”繋がり”や”なわ”といった言葉がキーワードになるだろう。そして、それらのシステムに小島監督の「作家性」がどう関わってくるのかが注目される。

「From Sapiens to Ludens」のさきがけとなり得るか

Death Stranding
ここまでインタビューを抜粋しながら『DEATH STRANDING』がどのようなゲームになるか考察してきた。現状、本当に謎に謎が被せてあるような状態なのであくまで憶測の範囲を出ないが、皆さんの推測の一助になれば幸いだ。

2016年に独立したコジマプロダクションが掲げる理念は「From Sapiens to Ludens」「人間から遊ぶ人へ」というものだ。

「遊びとはただの暇つぶしなのではなく、根源的な創造なのです。」これはコジマプロダクションの公式サイトに綴られた小島監督のメッセージだ。「創るひと」であるのと同時に「遊ぶひと」でもある製作者側に立った言葉であると同時に、我々プレイヤーへ向けた言葉でもあるだろう。

独立後のコジマプロダクションが送る記念すべき第一作になる『DEATH STRANDING』は、我々プレイヤーをサピエンスからルーデンスに変えてくれる作品になるのであろうか。発売時期は未定だが、過去に受けたインタビューのなかで「東京オリンピックよりは早い」と小島監督が述べている。私がこれから発売される予定の作品の中で最も楽しみにしているものの一つだ。既に待ち遠しくて仕方がないが、公開された情報を元に、ああでもないこうでもないと考えるのも楽しみのうちだろう。

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Source: 東洋経済オンライン

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